『PHTOSAI』 過去の写真家インタビュー記事から(写真家インタビューは現在休止中です)
私自身、写真は抽象であると考えています。抽象とは、物事から何らかの要素や本質となるものを抜き出して、提示することです。これは、写真における作品づくりそのものではないでしょうか。そしてマルセル・デュシャン(フランス生まれの美術家)に始まる現代アートのDNA~物事の見方は多面的であり、作品を通じて一面性に疑問を投げかける~は、写真家にこそ備わるのではないでしょうか。私の「ICEShadow」シリーズは、これらを強く意識して制作したものです。(『PHOTOSAI』Vol.37 写真家 谷田梗歌さん インタビューより)購入する>>
実は現在僕の使用しているデジタル一眼レフカメラは、最新の機体じゃなくてちょっと前のなんですよ(キヤノンEOS50D)。新しいのに変えたいですが、なかなかそうもいかなくて。画角や表現の方法に悩んでいたんですが、ある芸能人の方がキヤノンのミラーレスカメラに「最近ねコレがいいのよ〜可愛くて味があるでしょ」とジュピターとかの昔のレンズをつけてるのを見て、コレやん!と思い立ちました。(『PHOTOSAI』Vol.36 写真家 平井和征さん インタビューより)購入する>>
私の場合、昔からサンリオのキティちゃんが好きで、「Japanese Kawaii」に魅力を感じていました。原宿はその聖地であるわけです。竹下通り、ラフォーレ原宿、裏原宿、キャットストリート、表参道・・・。ファッションや「Kawaii」が好きな人にとっては、何度行っても飽きませんから、「じゃあ、住んでしまおう!」と決めたわけです。(『PHOTOSAI』Vol.35 写真家 NAOさん インタビューより)購入する>>
滋賀県と言えばびわ湖のイメージが大きいですが、近江商人の国でもあります。大阪や名古屋、北陸へ行くときにとても便利な場所で、有名なカップ麺メーカーの工場など栗東市には日本を支える工場もあります。受賞作品は、それらを夜に撮影する事で、光で表現できたと思っています。作品内の風景全てを見てもらうために、出来るだけ大きく見せたかったので、コンテスト応募要件の六つ切りワイドはピッタリだと思いました。
(『PHOTOSAI』Vol.34 写真家 アリモプレオさん インタビューより)購入する>>
私が、海外で撮ってきた美しい写真を、自信に満ちて見せたところ、どんな言葉を交わして撮ったのかと問われます。それまでメディアを通して、すでに体裁が整った仕事ばかりを見てきましたが、現在進行形で生きる自分にしか撮れないものはなにかと意識するようになりました。写真としての完成度は、実はフレームの外側にあるのだと深く理解しました。(『PHOTOSAI』Vol.33 写真家 木村 文吾さん インタビューより) 購入する>>
そんなある日、祖父の家にある多く飾られていた遺影写真に衝撃を受けたのをよく覚えています。初めは『遺影写真は怖い』という印象でしたが、自分のご先祖様だけど一度も会ったことのない人に写真を通じて会える不思議さや、その一瞬の一枚の表情で人物像を作り上げてしまう写真の力が衝撃でした。(『PHOTOSAI』Vol.32 写真家 辻 菜月さん インタビューより) 購入する>>
外観を撮影する際は、良い角度で日の当たる時間帯と方向を確認。曇天はもちろんダメですが、晴天であれば良いと言うわけでもありません。理想は斜光かつ空にバランスよく雲が浮かんでいる状態ですので、泊まりであれば翌日にも同じ時間帯に挑戦します。室内は自然光とミックス光で撮り方を変えます。(『PHOTOSAI』Vol.31 写真家 福田 大さん インタビューより) 購入する>>
認知症予防のための写真講座は、私が住んでいるマンションの自治会の中に老人クラブがあり、いろいろな趣味のクラブがあるので、写真クラブ設立の打診をしたら、大勢の方が賛成してくれてやることになりました。内容は、カメラで撮影することで、まず「きれい」、「面白い」を感じること。被写体を探して歩くこと。光と影についての認識を身につけること。写真の見方を会得すること。そして、その成果をプリントして発表し、お互いの感性を知ること、それぞれの感性を応援することなどです。
(『PHOTOSAI』Vol.30 写真家 熊谷 正さん インタビューより) 購入する>>
また僕の話を聞いた人から、その後バス停を注意してみるようになったとのメールやお手紙をもらうことがあります。これは嬉しいですね。僕のバス停の写真が、これまで人が見逃していたことやモノに目が行くように変化を起こしたということですから。些細なモノの見方もずっと継続していると新たな価値観がうまれると思います。
(『PHOTOSAI』Vol.29 写真家 柴田秀一郎さん インタビューより) 購入する>>
旅先で撮影をし始めた頃は、<日常から非日常へ行く>という感覚が強かった。ただ、だんだん旅に慣れてくると、日本にいても非日常を感じることができるようになりました。それは、思考をぐっと深く傾けることで、ルーティンや日常の連続の中に新しい驚きを見つけたり、インスピレーションを受けるような感覚です。(『PHOTOSAI』Vol.28 写真家 瀬尾浩司さん インタビューより) 購入する>>
◆どのメーカーのカメラも合焦が速いですし、連写や処理速度が速く、シャッターチャンスも逃さない、露出も間違えない。極端な話、自分ミスはほとんどカメラがカバーしてくれる感じを受けます。それはそれで大事だと思いますが、どこか「カメラに撮ってもらっている感」が強い。個人的には「自分が」撮っている感覚が欲しいのです。(『PHOTOSAI』Vol.27 写真家 丸山正志さん インタビューより) 購入する>>
◆何気なく住んでいる那覇の自宅周辺や沖縄は基地問題があると思われがちです。しかし那覇に住んで4年半が経ちますが、沖縄の方との日常で基地の問題は話題にもでませんし、那覇に住んでいたら目につくことも無いのです。基地問題はゼロではないですけれど、今回はそんな日常を知ってほしいと思い展示しました。(『PHOTOSAI』Vol.26 写真家 鈴木理恵子さん インタビューより) 購入する>>
◆皆さんにもお勧めする学習法は「カメラの付属マニュアルを読め!」です。ほとんど苦行なのでかなり難易度は高いと思いますが、初心者から上級者、プロの方でも新しい発見があると思います。これはムックなどで発行しているカメラの機種別ガイドを制作するときに学んだのですが、付属マニュアルを読み、わからないところはネットで調べながら読み進めると、確実にカメラやレンズに関する理解度がアップすると思います。
(『PHOTOSAI』Vol.25「カメラ・レンズの解説書を出版」齋藤千歳さん インタビュー)購入する>>
◆でも故郷と向き合うということはとてもハードルの高いことなのです。それは自分と故郷との関係性をさらけ出す行為であり、それによってそれぞれ環境の違う読者が故郷の概念について考えるようなきっかけをつくれるのかという問いがあったのです。しかし、今回「蝉丸」という滋賀ゆかりの謡曲を絡めることにより、一冊の写真集として成立させることができました。
(『PHOTOTSAI』Vol.24「 同人誌発行から写真集出版へ」藤原敦さん インタビュー)購入する>>
◆霧吹きを使って朝露のような水滴をつくるテクニックがありますが、本物の朝露と霧吹きの水滴は絶対違うと思います。前の日に「明日は露が降りるかな」と思いながら翌朝を迎えて写真を撮るのと、「朝露の写真はいつでも撮れる」と思いながら撮るのとでは、写真の雰囲気は全く違うものになると思います。
(『PHOTOTSAI』Vol.23「 写真と音楽の関係」 いがりまさしさん インタビュー)購入する>>
◆専門学校の教師に沢山撮りなさいと教えられました。数をこなして「写真を撮ることが辛い・・・」と思う次元を超えると、カメラの目が自分の目になってくるんです。その時がいい写真を撮れるようになった時だと思います。専門学校当時はフィルムカメラでモノクロ写真を撮っていましたが、一本一本自分で現像していました。「何でこんなに撮ったかな・・・」と思うことも多々ありました。
(PHOTOSAI Vol.22 手作り羊毛フェルトの鳥と写真 nao'さん インタビュー)購入する>>
◆色々な人に写真を撮ってもらうことの理由は、『私はここにいて、それはどれだけの価値があるのだろう』とか『自分は人からどう見られているのだろう』という自分に対する興味だと思うのです。それをもっと掘り下げて、モデルになる方の心の中で描いている自分像の一つと社会的なイメージを、私のカラーの中に取り入れて表現したいと思いました。
(ふぉとさいvol21 女性を撮りアート作品にする 雨宮里江さん インタビュー) 購入する>>
◆虫の世界では間合いというのがあって、同じ蝶が10匹いるとしたら1匹はのんびりした蝶がいるのですよ。その蝶をいかに見つけるかということも大事です。飛んでいる蝶を見て、「あ、これは早いからダメだ」とか「これはいけるな」ということを判断できるようになってからは綺麗に撮れるようになりました。
(ふぉとさいvol20 蝶を撮る写真家 黒柳昌樹さんインタビュー) 購入する>>
◆僕のファンの人が「それじゃいけません」と言って、何十年も前のゼンリンの地図で『何丁目何番何号』まで住所を全部調べ、さらに2万5千分の一の山陰の地図に各商店を落とし込んで持ってきてくれたんです。
(植田正治のアシスタントをした現役写真家 池本喜巳さん)『ふぉとさい』vol19より 購入する>>
◆次第に自分が思い描いているイメージで撮りたいと思うようになりましたが、そうするとまわりの環境が整うのを待たなければならなくて。それでは物足りなくなってきて、「自分で環境を整えて撮る」ということをしてみたいと思うようになりました。
(写真家 松尾エリカさん)『ふぉとさい』vol19より 購入する>>
〜写真家の想い〜
◆1945年(昭和20年)、広島と長崎に原爆が落とされ、「中国写真家集団」の仲間の何人かも被爆して亡くなると正治は悲しみ、「日本人にはもう写真なんかできないのだ」と本気で思いつめた。だからその年の暮れ、朝日新聞の紙面に「朝日写真展覧会」作品募集の広告を見つけた時のことを、正治は「生涯、この時ほど感激したことはなかった」と語ったという。(『ふぉとさい』vol19より 鳥取の写真文化 植田正治写真美術館)購入する>>
◆当時日本では、『写真も絵画と同様に平面芸術である』と主張する欧米のピクトリアリズムに影響され、絵画的な写真表現などを用いた「芸術写真」が広まっていた。塩谷定好も様々な技法を用いて、独自のイメージの「芸術写真」を展開していった。(『ふぉとさい』vol19より 鳥取の写真文化 塩谷定好写真記念館)購入する>>